小児のカイロプラクティックより(臨床神経学)

2019/08/11

臨床神経学
 1つの出産が完了した・・・・・・・
 それは、1979年 の12月28日の事だった。その児には何の動きも無く、何の意思も感じられず、まるでグニャグニャの赤ちゃんだった。産道越しにその児の位置を少しでも改善するために、母親は数時間圧迫を受けていて、出生の数秒前には疲弊しきって横たわっていた。この児の頭部は圧迫され、母体の骨盤の中で固定されていた、産道は、それ以上には開かないようだった。頭蓋骨縫合早期癒合症は、頭蓋板の1つ、あるいはそれ以上が固着している状態である。それらは、自力で成型できず、可動性も生じない、頭部は外界への出口を自ら閉鎖してしまっていた。最後の何回かの出産の強制によって、この児の母親には疲弊のための麻痺が生じた、彼女は目覚め、両肘をついて起き上がった、そして強力に腹部を折り曲げられた。会陰部の皮膚は裂け、骨盤の骨は無理矢理に押し戻された。この児は滑り出したが、静かで、グニャグニャしていて、青かった。
 この児の中枢神経系はショック状態にあった。この児の目は開かず、この世界を認識してもいなかった。彼女には食餌ー初乳の中の抗体-に対する本能的な衝動もみられなかった。出生時に健康であることは、この世に生を受けてくる児に無条件で与えられるべき生得権である。この検査に彼女は不合格だった。小児科医は、病理学的な証明をすることを保留した。これらの時点での活動は無意識的で、本能的なものである。この児の父親はカイロプラクターで、彼は、4年前の出生時に黄疸が見られた彼の息子のために行ったように、自分の両手が訓練された事を行うのに任せた。
 彼女の小さな背骨を触診したところ、抵抗が無かった。各々の骨は悲運の塊のように感じられた。1つの椎骨-第3頸椎-を除くと、各々の椎骨の感触は同じだった。カイロプラクターの指腹部で触診すると、第3頸椎が突出していた。コンタクトする事で、その児は活発になるようだった。この事から、この児は外界の事がわかっていること、まして出生時の恐ろしい力については、よく判っていたと思えた。彼女は、世界の事が自分に届いていることを知っているようだった。この世界も彼女のことが判っていて、助けになるだろう。
 幾つかの優れた脊柱アジャストメントのように、それが開始される前に、それは完了していた。全ての優れたアジャストメントのように、それには効果があった。このケースでは、ライトを当てると、この児の両目はきらめいた。この児の両手は、何かに触れて掴もうと波打っていた。この児の口は、本能的に乳首へと向かった。この児の皮膚は、母親のうれし涙と苦労の汗とで洗われた。出産は、今この時に完了したのだ。その瞬間、その児は、自分の生得権を主張した、その権利は、全ての乳幼児がこの世に完全な健康体で生まれてくるというものである。
 その児は、まだ彼女の生得権を主張している。常に彼女が直面した自分と自分の生活に介入してくる多くの人との生来の関係は継続している。彼女の生活は健康的で、活気に満ち、完全である-付け足したり、排除するものは何も無い。生後 10 分間の脊柱にとって、最初のカイロプラクティック・アジャストメントが最も重要な出来事だった。
 2つの細胞の結合からホモサピエンスが生ずるといった1つの複雑な人間の発達は、‟生命の軌跡” への賞賛なのである。自然というものは、急速な発育と分化する原形質を制御し、編成する必要性を認識している。それゆえ最初に形成され始めるシステムは神経系なのである。自然は、頭蓋と脊柱を使って、神経系の精髄部分を保護している。
 

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